【前編】「せとうちDMO」で観光産業を牽引する、『新社長 井坂氏』の構想とは?

株式会社 瀬戸内ブランドコーポレーション(SBC)
代表取締役 井坂 晋 氏 ISAKA Shin
1994年地元の広島銀行に入行後、地域経済復活のために「瀬戸内」を前面に掲げ観光産業に着目する。DMO(Destination Management/Marketing Organization:観光地域づくり法人)国内第1号となる「せとうちDMO」の旗揚げに参画し、2021年4月「株式会社 瀬戸内ブランドコーポレーション」(SBC)の代表取締役に就任。

SBCを率いる井坂氏に「過去・現在・未来」そして、「せとうち」に対する井坂氏の熱い思いを、存分に語っていただいた。

「瀬戸内プラットフォーム」という”構想

まず井坂氏は広島銀行(以下、広銀)出身のバンカーで、厳密には現在も広銀に籍を置いている。

「就職活動で特に金融業界にこだわっていたわけではありません。大学時代はラグビーに明け暮れた体育会系で、卒業後は親孝行も兼ねて地元・広島で就職しようとは漠然と考えていました。そんな時、偶然にラグビー部の仲間が福岡銀行の入行試験を受けるというので、『じゃあ地方銀行を受けてみようかな』と軽い気持ちで臨んだら、運よく内定をもらいました。」

と、入行の経緯を屈託なく話す。

 では、銀行員の井坂氏が観光産業に足を踏み入れるきっかけとは何だったのか?

「サービサー(債権回収)業務での経験が大きいでしょう。バブル崩壊による不良債権問題で地域が苦しむ中、広銀もこれに対応すべく2000年にサービサー事業を始め、私もこの部署に配属され、6年ほど債権回収と債権売買を行ないました。しかし、債権回収は簡単に言えば100あるものを債権者で奪い合う仕事で、これでは地域経済は萎む一方です。そこで2000年代後半ごろから、100を120、130にアップする策を真剣に考え始めたのです」

 と、その経緯を振り返る。

 すると、ちょうどその頃小泉内閣が「観光立国」戦略を提唱。やがて観光立国推進基本法案も成立し(正確には既存の観光基本法の全面改訂。2007年1月施行)、当時800万人程度だったインバウンド(海外渡航者)を、数年後に数千万人にまで増加させる政策がいよいよ始動。世に言う「ビジットジャパン・キャンペーン」である。

「この時、『観光はお金が外から流入するので100を120にできるのでは』と。しばらくして法人事業部へと異動し事業再生の業務を任されたのを機に、『自由研究』という名目で観光業を本格的に勉強し始めたのです」

 と打ち明ける。だがそこで観光業のいびつな構造を目の当たりにする。

「大手旅行代理店による典型的な発地型観光の弊害などもあってか、『地域観光』という強いコンテンツを作っているのは地域であるにもかかわらず、どうして地域が儲からないのだろう、という点が素朴な疑問でした。そしてこれを変える仕組みを構築できないかと思ったのです」

 さっそく井坂氏はさまざまな人へのヒアリングを開始。近畿大学経済学部の高橋一夫教授からアドバイスを受け、海外でのDMOの事例を初めて知るのだが、井坂氏にとって今後の運命を決定づけるほどの非常に貴重な情報だった。これを機に井坂氏は「瀬戸内プラットフォーム」を〝構想〟を展開していく。
今から7、8年前のことである。

 その後、高橋教授のアドバイスを受けた日本政策投資銀行が「日本におけるDMOを検討すべき」という内容のレポート作成。さらに、これを受けた形で当時の石破茂地方創生大臣が「地方創生のキーポイントになる日本版DMOを設立すべき」と表明。2015年11月、「日本版DMO」の法人登録制度がスタートし、これに、いの一番で手を挙げたのがせとうちDMOだった。

「行政単位の観光から脱して、観光客目線で活動することが広域DMOの設立が目的です。地域内の地銀を巻き込み、行政側と協力して7県(兵庫、岡山、広島、山口、徳島、香川、愛媛)の賛同を取りつけて、2016年3月に正式に『せとうちDMO』が立ち上がりました。」

 〝構想〟が日本版の広域DMOとして具現化した瞬間である。

SBC01

ちなみに「せとうちDMO」は、

・一般社団法人せとうち観光推進機

・ 株式会社 瀬戸内ブランドコーポレーション(SBC)

の2つの組織からなるが、一体なぜか。


まず、「一般社団法人」であるせとうち観光機構の立ち位置について
「官と民では理念が違うため1つにまとめると互いに潰し合ってしまうからです。第三セクターがいい例です。役割としては、瀬戸内全体のプロモーションは「せとうち」という公共財を扱うので行政の分野で行うべきで、一般社団法人のせとうち観光機構が受け持ちます。「せとうち」という名前が知れ渡ると瀬戸内エリアの全ての人々が恩恵を受けるものだからです」

と説明する。

続いて「株式会社」であるSBCを並立させた理由をこう説明する。

「瀬戸内への来訪者が増加した際に、民間事業者のクオリティやサービスのキャパシティを上げるなど、どちらかというと個別企業ごとに行う支援で、これは本来企業が行う『ビジネス』だからです」

「一般社団法人と株式会社との並立」は、せとうちDMOのキモ中のキモと言っても過言ではない。

「いわば、せとうち観光機構は需要を創り、SBCは供給側をサポートするという役目です」

サービスの質と量をアップ

では、SBCの具体的な事業とは何か。

「瀬戸内は世界に冠たる観光地になる」と井坂氏は宣言するが、観光需要の掘り起こしは、前述のとおり行政側=一般社団法人の仕事。

「『せとうち』というブランドを作り上げるには、プロモーションとサービスの一体化が必須で、このサービスのクオリティとキャパシティを上げるのがSBCのミッションです」

と説明する。また続けて、
「『クオリティを上げる』とは、観光事業者の価値をアップするため、彼らに対する経営・資金の両面を支援することで、これがメインの仕事です。このためファンドを自前で持ち、瀬戸内のブランドが上がる案件にはファンドで投資を行います」

と、ファンドによるサポートを強調する。

 ただし、観光事業者に対する経営支援は、別の産業の場合とはだいぶ勝手が違う。

「銀行の融資は産業セクターごとに行うのが普通です。例えば自動車産業の場合『自動車を造る人たちの産業』という切り口、サービス供給側の目線です。しかし観光業は逆で、利用者目線で業界を区分する稀な例です。『タクシー』は供給側目線で見れば運輸業ですが、観光客を乗せて名所を案内すれば、これはもう立派な観光業です。つまり観光業へのサポートの場合、観光客の動線がキャッシュフローの源泉だ、という点に着眼します。ただし他の産業よりも予測や顧客コントロールが極めて難しいのも事実です」

と、業界の難しさも打ち明ける。

ファンドを「呼び水」に

一方、資金的な支援についてはどうなのか。バンカーの井坂氏にとっては得意分野であり、分かりやすくこう解説する。

「日本の金融機関は1987年のバブル絶頂期に成立したリゾート法で痛い目を見ています。このため、実は日本において観光業はついこの前まで成長産業ではなく、むしろネガティブな業界と色眼鏡で見られていました。このため、金融機関はシニアローン(通常融資)を渋るのが常です。このため一番のリスクをSBCのファンドが引き受け、これをベースに金融機関から融資をしてもらうという手法で金融支援を行うスキームです。ファンド自体は投資というよりは「呼び水」の役割です

 この種のファンドの場合30億円以下の規模が一般的なのだが、SBCが手掛けるせとうち観光活性化ファンドは100億円で組成している。

「瀬戸内に数千億円の観光需要を創出しようと考えれば、数十億円の『呼び水』では足りません。せめて100億円規模のファンドは必要と考えました。このファンドが出資しているのであれば融資してもいい、と考える金融機関が必ず現れ、外部からどんどん融資が行われます。まさにこれが『呼び水』効果です。もちろんSBCの資金支援は『呼び水』という機能と、現場でビジネスを行なうための資金として利用してもらう、一般的な機能の2つの側面があります」

と解説する。

「今では当たり前である観光施設も、数年前までは『こんな施設誰が造ったんだ?』という状態でした。現在はコロナ禍の影響もありますが、それでも世間の見方は、ここ1、2年で徐々に変わって来ていますので最初のアクションとしては重要な機能です」

と手ごたえを感じている。

>>>中編見る