【前編】人口700人の山村を、がけっぷちから地方創生の成功事例へ

株式会社さとゆめ
代表取締役社長 嶋田俊平 氏 SHIMADA Shumpei
環境系コンサルタント会社勤務を経て、2013年にさとゆめを創業。「ふるさとの夢をかたちに」をミッションに、地方創生の戦略策定から商品開発・販路開拓、ショップの立上げ・集客支援まで、一気通貫で地域ビジネスの事業化を支援している。全国各地で約30程の地域で道の駅・アンテナショップ・観光事業・DMO設立等に関わる。2019年には、山梨県小菅村に、「700人の村がひとつのホテルに」をコンセプトとした分散型ホテル「NIPPONIA 小菅 源流の村」を開業。

小菅村との出会い

東京・奥多摩の無人駅を「フロント」、そしてさらに奥にある山梨県の山村・小菅村をまるごと「ホテル」に見立てた奇想天外なプロジェクト「沿線まるごとホテルを仕掛けたのは「伴走型コンサルティング」を手掛ける「株式会社さとゆめ」代表取締役社長の嶋田俊平氏である。
 嶋田氏は、大阪で生まれ、父親の仕事の関係で、幼少期の10年間を海外で過ごす。物心がついた頃から、「ふるさと」について考え続け、「ふるさとがない」ことにコンプレックスを感じていた。京都での学生時代に、「ふるさとはつくるもの」であることに気付き、「ふるさとは守らなければ、なくなってしまう」経験をする。嶋田氏は、「ふるさとを守る」仕事を志ざし、環境系コンサルタント会社に就職。約10年間、地域資源を活用したコミュニティ・ビジネスに取り組む。
 しかし、嶋田氏は、「もっと地域に寄り添う伴走型コンサルティングをやってみたい」と一念発起し、『株式会社さとゆめ』を2013年5月に旗揚げました。東京都千代田区永田町に開いた3坪ほどのアンテナショップの運営や地方資源の商品化などから、事業を始めた。その事業が回り始めた2014年2月、嶋田氏は、国土交通省主催のとあるセミナーに講師として招かれ、自社の実例などを説明すると、これを受講していた小菅村の役場の方から『村で困っていることがあるので力を貸して欲しい』とオファーされた」ことが出会いと振り返る。

「ハコモノ行政」の典型課題に直面

 小菅村は山梨県北東部、東京都奥多摩町と隣り合う山村で、人口は約700人と非常に小ぶり。
かつて2000人以上だった住民は30年間で3分の1に激減。過疎・高齢化の典型で、このままでは2040年に400人台にまで落ち込むと見られていた。「起死回生を懸けた切り札が『道の駅 こすげ』のオープンが半年後に迫る中、ハコモノ(施設)はできたものの、ではどんな料理を出し、何を売り、誰が運営するのかという肝心の中身がまだまだ何も決まっていない。それどころか、コンセプトやターゲット、ポジショニングも空白の状況で、大急ぎで何とかしてほしいと、小菅村の舩木直美村長から依頼されました」
 ではなぜ、小菅村は「道の駅 こすげ」を作ることになったのか。大都会・東京を流れる多摩川の源流に位置するこの村は、四方を山に囲まれ、県庁所在地・甲府に向かうにも、これまでは数時間かかっていた。中央自動車道や国道20号線が通る南の大月への直通ルート開設は悲願だったが、ついに2014年11月、全長3000m超の「松姫トンネル」が開通し、これが叶う。そこで、これを機にトンネルの近くに「道の駅」を造れば、新たなお客が見込め、村の活性化につなげようと考えていたからです。

「目的地型」&「源流イタリアン」で勝負

「実際は、施設立地が悪く、トンネルに通じる国道139号線からさらに脇道を数百mほど上がった山の上に位置します。すでに温泉施設も造られていましたが、お客さんはサッパリで、年間数千万円の赤字が出ている状況でした。」 もっとも、地域住民による事業を推進・検討する委員会で、会議も十数回ほど行われていました。そこで、話し合われた内容は、料理は「そば・うどん、定食」といった伝統料理を提供し、券売機で販売をすることを想定するものでした。「通常クルマの多い国道沿いや高速道路のパーキング・エリアといった『立ち寄り型』ならドライブ休憩をするお客を見込むことが出来ますが、『こすげ』は別です。幹線道路沿いでないため、ここに行くこと自体がお目当てとなる『目的型』にすべきで、魅力あるコンテンツが必要です。他と差別化が難しい「そば・うどん、定食」を食べに、都会の若者たちがわざわざ車を2時間も車を飛ばしてやってくるとは思えません、と委員会の方々に断言しました」と、嶋田氏は歯に衣着せずに問題点を指摘。
 そこで嶋田氏、当時、地の食材を使ったイタリアンがブームになっていたことに注目。地産地消を前面に出した『源流イタリアン』と名付け、地元でとれる山の幸や川魚をふんだんに使った山村発のピザ・パスタであれば、斬新さ・面白さを、首都圏の若者層にアピールできると確信した。
 実際、本場イタリアから直輸入した薪窯を導入するなど、本物のピザ焼きにもこだわった。「しかし、村の方々にとって、イタリアンは馴染みのない料理でしたので、調理の協力を呼び掛けても『ピザなんか焼くたくない』とけんもほろろ。半年後には道の駅がオープンしてしまうので、何とか間に合わせたくて、人集めから引き受け、知人の大学生など外部から数人呼び寄せ、シェフもわざわざ雇ってなんとか体裁を整え、コース仕立ての本格イタリアンが堪能できる道の駅の開店に漕ぎ着けた。」
 ところが、シェフが開店後2カ月ほどで辞めてしまい、料理が出せず開店休業状態の危機に。「シェフでなければ料理が作れない、というシステムは失敗でした。そもそも道の駅は客の回転率が決め手で年中無休が理想です。となればファストフードのように、合理的なマニュアルのもと、誰でも美味しいメニューが簡単にできるスタイルがベストでした。」こうして嶋田氏は再スタートを切る。「料理はピザとパスタだけに絞り、誰でも美味しく造れるオペレーションを某ピザ・チェーンから伝授してもらいました。しかもピザ・パスタは生地とソースで味の95%が決まり、後は地元の食材を載せて焼けば、誰しもが唸る絶品ピザ・パスタのでき上がりです」と嶋田氏は自信を漲らせる。
 こうしてリニューアル・オープンした「源流レストラン 道の駅こすげ」は徐々に収益を上げ、安定経営にもっていくことに成功した。

地域伴走のカタチ

「今だから話せますが、プロジェクト開始当初は『十中八九無理だろうな』との心中で、ある日夜遅く帰宅した際に私が『夢をカタチにするまで伴走する、とは言ったものの、墓場まで伴走する仕事もあるんだな』と青ざめた顔でボソッと呟いたことを妻は強烈に覚えているようです」
 地域伴走とは、課題を本質から見つめ直し、成果が出るまで、地域でしっかりと取り組み、また必要であれば、様々な関係者にも伴走をして、地域活性化に取り組むことをいいます。面目躍如とばかりに成功の余韻に浸ろうとしたのも束の間、嶋田氏にさらなる難題が舞い込んでくるのだった。


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